「吾輩は猫である」「こころ」などの名作を残した夏目漱石。
漱石は大学で英文学を専攻するものの、「英文学とは何か」「そもそも文学とは何か」が理解できず、すっかり不安に陥りました。
その頃のことをこんな風に語っています。
とにかく三年勉強して、ついに文学は解らずじまいだったのです。私の煩悶は第一ここに根ざしていたと申し上げても差し支えないでしょう。
出典:『私の個人主義』/(講談社文芸文庫)
漱石は、そのモヤモヤ感を引きずったまま教師として生活し、やがてロンドンに留学します。
そこで「他人本位」だった自分に気が付きます。
私は下宿の一間の中で考えました。(中略)今まではまったく他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめにただよっていたから、駄目であったということにようやく気がついたのです。
出典:『私の個人主義』/(講談社文芸文庫)
他人や周囲からの影響を受けやすいこと。
心の拠り所としやすいこと。
それを、私は「他人軸」と呼んでいます。
漱石が「他人本位」と呼んだものです。
もともと、漱石は敏感で、周囲の影響を受けやすい性質があったようです。
(下記は鏡子夫人の語録)
(中略)怪談じみた因縁ばなしなどいたしますと、怖がりまして、もうよしてくれ、ねられないからなどと、よく寝がけにこんな話になりますと降参したものでした。
出典:夏目鏡子述 松岡譲筆録『漱石の思い出』/(岩波書店)
漱石は文学や留学を通して、自分の性質の根幹に気が付いたのかもしれません。
彼の「他人本位」という言葉には、そうした背景も感じられます。
考えつめた漱石は「自己本位」という心の在り方を選択する方法を考えつきました。
たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか、口調が大変好いとかいっても、それは西洋人の見る所で、私の参考にならん事はないにしても、私にそう思えなければ到底受売をすべき
はずのものではないのです。
出典:『私の個人主義』/(講談社文芸文庫)
私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるというより新しく建設するために、文芸とはまったく縁のない書物を読み始めました。一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的の思想に耽り出したのであります。
出典:『私の個人主義』/(講談社文芸文庫)
仕事や生き方について、誰かが作り上げた価値観(=他人軸)をまずは学ぶのでしょう。
それは、自分自身を育てる糧となることがあります。
しかし、やがて責任を負ってくると、自身の判断で舵取りをしなくてはいけないことがあります。
漱石は、海外の物まねではなく、日本人である自分が語れる文学の世界をつくり上げようと、未踏の領域に足を踏み入れていきました。
彼の至った自己本位や自信というものは、「他人からの課題をこなすこと」「過去の経験に誇りをもつこと」ではありません。
周囲からの影響にさらされながらも、自分にできることを探し、挑んでいくこと。
やがては、それから「自分には物事に対応できる(何とかできるだろう)」という感覚が生まれます。
他人軸に偏りがちな人にとっては、そうした点を補うことが、自信のベースになると私は考えています。
→あがり症を本当に克服するには~他人軸から自分軸へポジションを移す~